DIARY 2004年 6月前半

6月15日(火)

さらに暑い日。疲労感を睡眠で回復。

夜間に宅配便の人から電話がかかってきた。どうやら道に迷ったらしい。聞くと、全然違うところで探索している。一応だいたいの場所を説明したが、この辺りに明るくない人なのではないかと非常に心配になった。チャイムが鳴って、マンションの玄関にはたどりつけたことはわかったものの、案の定中で迷っていたところを見つけて荷物を受けとった。

夜中に駅前のブックオフで自分の本を見つけた。半額だった。中はとてもきれいだ。あまり読んでないのかなあと残念に思うと同時に、これなら売れやすいかも知れないとも考えた。

ときどき古書店で「謹呈」の栞が挟んである可哀想な寄贈本を見かける。中には、○○様と相手の名前まで書いてある場合がある。そういうのじゃなくて良かった。もちろん栞がはさんでないからといって、寄贈本じゃないとは限らない。抜き取った可能性もあるからだ。しかし、それはそれで僅かながら愛を感じることもできないではない。

以前に出版社に勤める人から、営業で書評用に送った本は、担当者に関心がないと簡単に右から左へと古本屋さんに流されてしまうと聞いたことがある。でもきっとそういうところに取りに行くのは、ブックオフじゃないだろう。

6月14日(月)

どんどん暑くなってきた。八王子から新宿へ移って、17階や12階をうろうろする。夜は授業の準備など。

録画したはずのVTRのうち、ちゃんととれていないものがあることを発見した。ちょっと困った。逆に、とったはずなのに何をとったかわからなくなっているものを見直して確認してみると、こんなの面白いものがあったのかとうれしくなった。

最近短期記憶力が落ちているような気がする。特に気になるのは、固有名詞などを微妙に間違えることだ。まったく思い出せないよりはましな気もするが、細かい誤りに対する注意力が落ちているのではないかと不安だ。(もともと記憶力や注意力が良かったわけでもないのだけれど。)

6月13日(日)

とても気持ちの良い1日。日差しが強いので動くと少し暑かったし、久しぶりに良い天気なので街は人であふれかえっていたし、急に風が強くなったりもしたが、せわしない平日が別世界のことのようで嘘みたいに思える日だ。区役所の展望台からは副都心がよく見えた。

夜は授業の準備とか、電話で研究会の打ち合わせとか、JABEEの書類作りとか、ちょっと深刻なメールも。

6月12日(土)

出かけようとしたら自転車がないので、昨日銀行の前に忘れてきたことを思い出した。銀行まで歩いて行き、(一応駐輪スペースなのかも知れないが)路上を塞ぐ迷惑自転車の一台を取り戻してきた。

授業後教室に手帳の忘れものを見つけた。他の落とし物なら名前を探す。しかし、手帳の場合きっと中に書いてあるに違いないのだが、何か余計なところまで見てしまいそうなので迷うところだ。迷っているうち、友人や先生に対する言えない不満の書き付けがあったり、とても直視できない自作の詩がメモしてあったり、スケジュール表にデートの予定(や結果)が記されているかも知れないなどどんどん妄想が広がって、ますます見ることができなくなった。しかし、落とし物を届けるときに、落ちていた場所から可能性のある学生の名前にあたりをつけてそれを伝えようとしたところ、職員の人は中をめくって「○○○○○さんですねーっ」と、あっさり名前を見つけていた。

報告書を書く。最近睡眠時間が不定期。

6月11日(金)

研究会の打ち合わせ。Y先生の部屋はゴミ屋敷と化しているということで、私の研究室を片づけて場所をつくる。やはり床にものを置くようになってはいけないなと、この状態に近づきつつある自らを戒める。足の踏み場が無くなって動きようがなく、よけいに窮屈に感じる。

メールを何通か。全部で3時間くらいかかる。

JABEE個人データの記述に時間がかかっている。これまでもそうだったのだが、JABEEは何を書くように要請しているのかよくわからず、話合っていると結局「JABEEは何を考えているのかよくわからない」でも「JABEE申請をしないわけにはいかない」という結論になって(いつもそうなるに決まっていて)、じゃあどうすれば良いのかいろいろ考え始めてわからなくなり、そうやって悩んでいるとJABEEのウェブページに補足説明が出て「必ずしも適切でない部分があり」「整合がとれておりませんでした」とか書いてあったりして、いったい大学側は何を悩んでいたのだろうとバカらしい気持ちになったり、でもそうなるからといってシステムを作る側が非難されたり信頼をなくしたりすることはないから、作る側の曖昧さは全然改善されなかったりするので、申請者の側はずっと迷い続けて、それが大変な負担になって、結局教育とか研究の質を高めるために使用するべき時間と能力とエネルギーがむだなところに費やされてしまうんだろうなあと考えると、実は非常に悪いことをしているのではないかと考えてしまう。誰にとって悪いことなのかというと、もちろん学生にとってだ。(ちなみに、こんなにふうに一つの文(センテンス)がやたらとっても長い文章は読みにくいので、学生の皆さんは作文で真似をしないでください。)

学生の授業アンケートのデータが一部戻ってきたのだが、自由記述欄の「倫理」とあるべき部分が全部「論理」になっていた。自由記述欄に記入した学生が全員漢字を間違えたのでなければ(んなわけない、ない!)、データを入力する外注先のアルバイト(?)の人が全部入力を間違えたのだろう。「この技術者の論理の授業は・・」とか「論理の勉強は・・・」とか書いてある。ここまで1つの例外もなく完璧に間違えられていると逆に爽快で気分が良いくらいだ。何回書いても間違いに気づかない入力者もすごい。戻ってきたのは火曜日の授業だが、月曜日の方がどうなっているか今から楽しみだ。(直してくれました。ありがとうございます。すばやいですね。6/14。)

6月10日(木)

授業のあいまにつかまえたいと思っていた非常勤の先生が2人いたのだが、どちらもつかまらず。代わりに別の社会科学系研究者2人と話をしているうち、エイゼンシュテインの「ストライキ」の話になって、登場人物の誰が誰だかわからなくならないですかというので、エイゼンシュテインの映画ってそういうパーソナル・ストーリーを追うような見方をするものなのか(シンボリックに組み込まれたメッセージを受け取るものじゃないのか)と思ったのだが、私の方が筋を意識しなさすぎなのか。

9回目の授業なので、そろそろ学生が試験のことを気にし始めている。

『生物学史研究』のバックナンバーに一挙に大量の注文が入ったらしい。売れるとうれしいものだ。今日は座談会原稿の大幅な手直しを入力。3時間くらいかかったが、まだ終わっていない。

昨日の相談者からは、今度はいきなりマンションに「Bフレッツ」が入ることがわかったという連絡。tepcoと入札競争になったが対応プロバイダの数が決め手になったそうだ。マンションに新たにブロードバンド回線をひく場合、多くの住人が「メールアドレスを変えたくない」と考えるものらしい。

コージーコーナーでちーずのきのことか。

6月9日(水)

「プロバイダ」という言葉も知らない人から、インターネットを始めるにはどうしたら良いのかという相談を受けた。光とADSLの違いも、LANもモデムも知らないのに、「Yahoo!BB」は知っていた。モデム配っている人に相談しようかと思っていたそうだ。この徹底した浸透度に脱帽。

粥川準二さんのみずもり亭日誌で先週の土曜日のことが記されており「林さんからは、自分は歴史家でカユカワさんのように使命感を持って現在を相手にしているわけではない、という意味の回答が返ってきた。」と書かれていた。多分「粥川さんは現在、私は過去に関心があるのでは」と言ったことを捉えてそう言っているのだと思う。実は私の気持ちとしては、その場にいる人は粥川さんを含めて現在または未来のことに関心があるのに、自分だけが過去のことを穿って語っているように思えて感じた疎外感の表明であったのだが、そんなふうには誰も受けとっていないのかも知れないと思うと、私が自意識過剰ということになる。現代の問題を引き受けて解答を出そうとしているという意味で、「生命倫理学者」は大変な使命感の持ち主だと思っているのだが、違うのかなあ。(とりあえず返答。お互いに日記を見ていることはわかっているので・・。「価値観」の置き所に関して自分の中に揺らぎというか二面性があることは確かだ。)

21時10分に授業が終わってからしばらく打ち合わせ、というか会議だな、長さから言って。

『生物学史研究』投稿(予定)者から連絡2件。電話とメールでそれぞれ。

代ゼミのサイトの大学受験偏差値一覧表が今年も更新されたのを確認した。大学の先生も実は気にしている。

6月8日(火)

EBM(Evidence-baced Medicine)を進めていくとPM(Personalized Medicine)になるという話を先週の土曜日に地下鉄早稲田駅そば夏目坂の飲み屋で聞いて、そりゃ嘘だろうと直観的に思ったのだが、そのときはあまりよくわからなくて何がおかしいのかよく考えてみた。

「個」のあり方は遺伝情報のみに規定されるわけではないので、医療における科学的証拠の重視を進めていけば、いわゆるオーダーメイド医療の意味での「個の医療」(参考サイトはこちら、メルマガは去年の8月から受けとっているのにあまり見ていない)では済まないだろうということはまずわかった。しかし、「個の医療」というのを様々な個人データに基づいた科学的医療と捉えればどうだろうか。それはまさにオーダーメイド医療の目指すところと方向が一致する。とすると納得がいかないのは、それを「個」の尊重であるかのように表現することだ。(遺伝子検査や健康診断等)個を様々な分析手法で医科学的に「解剖」し、集団の中での位置を決めて、個人を数字の集まりに還元して認識しようとするその傾向は決して「個」の尊重ではなく、むしろ個を全体に解消する行為ではないだろうか。

「リスク細分型保険」は、個に応じた保険料を算定する合理的・効率的な方式だが、個を統計の中に解消し、その結果として個を尊重できてはいない。それと同じことだ。(それが「悪い」と断言できるわけでもなく、進めるべきでないとも思えないのだが、少なくともとりあえずそういうことだということは考えておいたほうが良いということだ。問題は「個の医療」という呼称かも。)

本当は学内の研究報告書の締め切りなので、書き始める。といっても1人で書くものではないので、終わるはずもない。『生物学史研究』の座談会の原稿をまとめる仕事を開始する。

6月7日(月)

月曜日だというのに、まだ日没前に家路についていることに気づいた(夏至が近いからでもあるのだが)。降っていた雨も上がって、空気が気持ちよく、空がとてもきれいだった。都庁前の駅まで歩くのに、地下を通るのがもったいないと思って、300mくらいだが外を歩いた。

結局直前までかかってしまったレポートの採点。やっと午前3時に終えることができた。6時間後に返却するものだ。

6月6日(日)

こんなに分厚いPHP新書は初めて見た。小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』。脳死移植に関して一般にはあまり知られていない科学的事実を提供してくれるこちらも参考にするとさらにGOOD。(今気づいたのだが、こんな有用なサイトが、そのカウンタによれば、半年以上たつのにアクセス数2000ちょっとというのはもったいない。)

禁煙に成功すると大学合格率上昇というニュースが、こちら。「名古屋市の名鉄病院の医師が、大手予備校の協力を受けて、浪人中の寮生の男子約100人を対象に調査した。結果は喫煙者の合格率が25.9%だったのに対し、禁煙成功者は36.8%、非喫煙者は40.7%だった。」という。そもそも未成年者だろうというつっこみもあろうが、禁煙できる意志の強さのある人の方が、受験勉強もできるだろうというのはわからないでもないので、必ずしも煙草の功罪とは関係がないように思える。

6月5日(土)

「バイオエシックスを考える(学生の?)会」(ウェブページはこちら)で報告。アイデア倒れでまとまらない段階の、論文未満のような話を聞いてくれてありがとうございます。

土曜の午後にきれいな会議室を借りられるというのがうらやましいな。

6月4日(金)

スズムシを売っている近所のスーパー。いくらきれいな音を奏でるとはいえ「虫」であることに変わりはない。野菜と並べて置かないで欲しいものだ。餌の野菜を一緒に買うには便利だから、肉のコーナーに焼き肉のタレを置くようものなのかも。

翌日の準備。電車の中で論文を断片的に読み進め、何か報告の機会があるとそれをまとめるというのが、最近の研究の仕方になっている。

6月3日(木)

授業と会議と打ち合わせとFD資料作成。

最近また、いろんなキーワードでのアクセスが増えたので、Googleでこの日記のページがひっかからなかった状態は解消したのかと思ったが、どうやらそうではなくて、Yahoo!の方から来ているらしい。「日大アワー」とか「品川駅構内図」というワードで探すと、Googleでは出てこないのに、Yahoo!では見つかる。

卒業生が海外の大学院に受かったということを報告に来てくれた。私が推薦状を書いた(というか、より正確には推薦状を読んでサインした)からだ。指導教員の推薦ももらったが、忙しくてあまり相手をしてもらえなかったのだという。ぜひがんばって山○○顕先生を見返してやって欲しいところだ。お土産ありがとうございます。

6月2日(水)

月火でだいたい疲れ果てるので、水曜日はダウンしている。夜の授業までには何とか回復。でも他のことは何もできない。

6月1日(火)

とうとう6月になってしまった。いろんなことがほとんど進んでいないというのに。

朝から降っていた雨はあがったが、午後の非常勤先には一応傘をもって出かけた。非常勤講師控え室にいくと、大きめの傘たてが3つくらいあって、全部合わせると百本近くになろうかという傘がさしてある。中には名前の書かれた札が付いているものもあって、「置き傘」を常備している人もいると思われる。ここに入れたら自分の(というか本当はY氏のだが、最近私がいつも使っている)傘がわからなくなってしまうのではないかと一瞬迷ったが、他の場所におくのもまた危険が伴うと思われたので、だいたい場所を覚えながら傘立てに傘をしまった。

授業が終わって帰るときに、傘を取り出そうとしたのだが、一瞬自分の傘が見つからない。これが一番似ていると思うものを手にとってみたが、どこか違う気がする。これまでこの傘が、たくさんの傘の森の中に入るなどということはなかったので、まじまじと見る必要も、区別する必要もなかった。あらためて見てみると、本当にこんな模様だったかとか、こんなアルファベットのロゴがついていただろうかとか、柄の色はこんなだっただろうかとか、すべてが疑わしく思えてくる。手にとってみた感じも試したが、あらためて握ると違うような気がする。しかし、これより他に似ている傘はない。ひょっとするととてもよく似た傘と間違えられたという可能性もあるのだが、それなら私がこれを持って帰るとうまく収まるのかも知れない。しかし、むこうの方が高級な傘だったらどうしようかということは心配だ。

いろいろと考えるが、傘立ての前で佇んでいる様子こそ変だと気づいて、思い切ってその傘を手に持ち、できるだけ何食わぬ顔で帰ることにした。今はこの傘に違和感を感じているが、それは私が初めてこの傘をしっかり見ているからで、実は本当は問題がないのだと心に言い聞かせていた。持っているうちにだんだんと傘が手に馴染んでくるような気がした。新宿に帰って研究室の傘をいつも置いている場所に置くと、まさにいつもそこにあるような傘になっていた。しかし一応自宅に帰ってから、Y氏にこれが自分の傘かどうか確認してもらった。やっと私の不安が解消した。私が持ち帰った傘は、私がもっていったまさにその傘であるか、あるいはそれに非常によく似ておりなかなか区別できない程度のものであるという確信を持つことができた。


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