2006年12月04日
童謡に夢中
実は自分の話。近所の区立図書館に童謡のCDがたくさんあるので、それを借りている。何枚も借りると、入っている曲自体はかなり重なっているが、アレンジが異なっていてまたおもしろい。
「山口さんちのツトム君」は謎の多い曲だ。「ママ」はまだ小さい子どもである「ツトム君」を置いたまま何日も(「このごろ」というのは一日、二日ではあるまい)どこかに行っている。一応、「田舎」ということになっているが、お祖父さんお祖母さんがきっと顔を見たがっている「ツトム君」がなぜ同行しないのか不思議である。田舎のお土産は「摘んだばかりのイチゴ」だが、そのような傷みやすく、まるで日帰りバスツアーのお土産を息子の友達の家にまで配るものかどうか。どうやら「ママ」には、「ツトム君」には言えない大人の事情があるのではないかと想像される。
日本語を(加えて他のどの人間の言語も)解さない4ヶ月児だが、こちらが音楽に合わせて身体を動かすと声をあげて喜ぶので運動になる。
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懐かしいですね。(歌詞を正確には覚えていませんが、)子どもの気持ちが実に上手に歌われていたように思います。多分、おじいちゃん(または、おばあちゃん)が病気で、お母さんは看病に行っていたのです。子どもは連れて行けないのです。(お母さんはお土産なんか買っている余裕はないのです?バタバタと帰ってきたのです?遊びじゃないからお土産を買わない?)
おじいちゃん(または、おばあちゃん)が庭で作っていたイチゴをお土産にしたのです。(「ツトムに食べさせよう。」と思って作っていたのかもしれません。)というより、「帰ってきてくれてうれしい」と「さみしかった」という気持ちを表現するには、「ちょっぴり酸っぱいイチゴ」はぴったりだったのでしょう。おまんじゅうやクッキーでは、この感じは出ないでしょう。
今は、玄関先で、「ツトム君、あーそーぼ。」と呼んだりしないのでしょうね。教育についての議論が盛んですが、人間として以前の「生物としてのヒト」を育む環境も得難くなっているように感じます。旭山動物園だったら、どんな環境を用意するのでしょうか?
きれいな解釈をありがとうございます。今後、子供に聞かれるなどしたら、このように答えたいと思いました。やはりご家族のご事情だったのですね。
現在では、ケータイメールであらかじめ連絡した後、訪ねたオートロックマンションのエントランスのインターホンを用い、カメラで顔を確認してもらってから、「あーそーぼ」と言うのでしょうか?
初めて、この歌を聴いたときは、「弱虫な男の子のヘンな歌。」「なんで、土産が酸っぱいイチゴなんだろう?」と思いました。説明し尽くさずに、あれこれ考えさせるところが、この歌の魅力なのでしょう。ママは、家出をしたのかもしれないし、入院していたのかもしれないし、・・・。
「語られない気持ちやそれぞれの家庭の事情」という存在に気づかせる道徳の教科書のような歌でもあります。
お子さんはどんなストーリーを考えるのでしょうか?楽しみですね。(謎といえば、真冬だというのに、庭のイチゴの花が咲きました。)
二重投稿になってしまい、すみませんでした。今度はうまくいくといいのですが。
第三者的な視点ではなく、ツトム君の近所の友達の視点を用いて、子供の解釈のみを示し、真実をわからなくする記述手法(?)をとっているのですね。
最近果物屋さんで見かけるイチゴが気になっています。もう少しがまんしてから買ってみるつもりです。
今度はうまくいっています。