2007年02月04日
違和感を言葉にしてみる
知識がないと生きていけない社会より、知識がなくても生きていける社会の方が良い社会に決まっている。それでも非専門家が知識を求める場合があるとすれば、それはやむなく自己防衛をする場合、つまり信頼できる専門家がいない場合なのではないかと思う。そうでない場合に、科学コミュニケーションなど必要ない。
テクノロジーに依存する高度知識社会においては、科学技術を受容する側の市民のリテラシーを高めることが重要だという人もいる。しかし、斬新だが不安定な先端知識のおかげで維持されていく社会が、本当に豊かな社会なのかどうかは疑問だ。
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こんにちは。切実に「知識を求める場合」は、「専門家」を「信頼」しきれない場合だとは思います。(しかし、ただ好奇心として、研究の結果を知りたいと思うこともあります。)
素人の科学リテラシーには、(いろいろな意味で)限界があると思います。後半、特に食べ物に関して、そう思います。専門家の間で意見が割れたり、専門家も答えられない問題を抱えたような技術を、「経済」「成長」「発展」「進歩」という言葉の下に、「受け入れなければならないのだろうか?」との疑問はよく感じます。
書き込みありがとうございます。
「経済」「成長」「発展」「進歩」というもの自体の価値はずいぶん落ちてきたように思うのですが、私たちの生活自体が人質にとられているか、とられているかのように思ってしまっているところが問題なのではないかな、と思っています。