2009年10月28日

最初の記憶

 子どもの頃の微かな記憶について、断片的に思い出せることはいくつかあるのだが、どれが最初なのかは、あまりはっきりしない。
 そんな中で、明確に言語化されて残っている記憶で一つ、それがある意味で特別な最初の記憶なのではないかと思うものがある。内容は「今日の朝ご飯は卵焼きだった」という、いたって日常的なものだ。ところが、そんな記憶がなぜ特別なのかというと、これについてはただ何となく覚えているというわけではなく、このことを記憶しておこうと思ったという記憶が付随している、というよりもしかするとむしろそちらが記憶の主たる内容だからだ。
 朝ご飯が卵焼きなのは、決して特別なことでも、記念すべきできごとでもない。そう考えると、これはできごとが印象的だったというよりも、できごとを捉える自分の側に何かが起こったということの記憶に他ならないのだと思う。
 それが何なのかと考えてみた。時間に流れというものがあって、過去というものは消え去っていくものだということに、子どもとして考えられるレベルで気づいた、記憶しておこうと思わないと忘れてしまうかも知れないと思ったので、意識して記憶しておこうと考えた。そういう気づきと出来事の言語化の最初の記憶なのではないだろうか。
 出来事の寄せ集めではなく、一連の流れを持つのが時間というものだということに気づくのは、ちょうど夢から覚めるようなものかも知れない。子ども時代が夢のような時間を生きていたのだとすれば、夢から覚めたことに気づいたその意識が記憶として残っているとも言えるのではないかと思う。もちろんこういう記憶自体が後から作られたものである部分を含んでいるかも知れず、確かなものではないのだけれど。
 帰省した3歳児は祖父母の顔を記憶していたのみならず、半年前に来た家がどこであるか知っているかのように得意げに歩き、近づくと正しい角を曲がった。それに対して、言語で過去の記憶を表現することはほとんどない。「犬みたい」だと思った。非言語的な感性につつまれた3歳児の世界を豊かにするには、何をしてやればよいのだろうかと考えた。

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