2009年11月02日
幼稚園狂想曲または不安を生み出すシステムについて(長文)
幼稚園について知ることになって、いろいろと発見したこと、迷ったことがあったのでメモ。
まず、願書提出、考査、発表が同一の日だということ。しかも、おそらく示し合わせているのだろうが、近隣の幼稚園はほとんど日程が同じ。ということは、一つの幼稚園にしか願書を出すなということだ。もしある園がたまたま定員オーバーになってしまったらどうすれば良いのかはわからない。どこの幼稚園のウェブサイト(普通の幼稚園ほどたいていサイトを持っている)を見ても、「追加募集」などの表記はない。運悪く「落選」した場合、どうしたら良いのか謎だ。たしかに落ちたという話はあまり聞かないし、少子化のまっただ中だし、心配ないと言えば心配ないのかも知れないが、「滑り止め校」を受けさせたくなる親の気持ちがよくわかった。
一応、幼稚園入園考査というものがあることも驚いた。一応「考査」と名乗っている。だから落ちることがあるのかも知れないと思わせる。「考査」について、入園案内には、特別な準備は必要ありませんと書いてある。わざわざ書いてあるということは、何か準備をしなければと思っている人がいるということなのだろう。しかし、しようとしても何をして良いのかわからない。ベネッセの勧誘に一切乗らないできたわが家の3歳児は、他の子どもができるのにできないことをたくさん持っているのだろうと思うが、今さら「標準化」するわけにもいかない。形式は園によって異なるのだが、わが家の3歳児が受けた考査内容は「行動観察」。しばらく親から離して遊ばせるというものだ。大学入試にも利用できるかも知れないと考えたが、おそらく一部のAO入試はすでに同じようなことをやっているのだと気づいた。
1週間前に帰省して以来風邪気味が復活した3歳児。悪化するな、インフルエンザになるな、幼稚園入園考査の日までは元気でいるように、と祈るばかり。1回しか機会がないと思わされると、こういうことが一番心配になる。
見学会や説明会で話を聞くとき、普段幼稚園児が座っている椅子に保護者が座ることになっているというのは、他に椅子がないから当たり前なのかも知れないが、どうにかならないものかと思う。大多数のお母さんや、男性でも私程度の体型ならそれほどでもないのだが、体重80kgはあろうかという大柄なお父さんが幼稚園児の椅子に腰掛けている様子は、ちょっと見ていて辛いものがある。というより、椅子の耐えられる重量を超えていないのだろう。制限重量を明らかにして、マイ椅子の持参を薦めた方が良いかも知れない。
入園料支払いは、考査終了後、個人別合格発表の場で行う。このシステムもすごい。入園料を握りしめて願書を出さなければならないということだ。このシステムだけ見ると、考査は形式的なものだということになる。しかし、もしそうだとすれば、どういう場合に落ちるのだろう。そして、そのことは受験者(の保護者)にどのように説明されるのだろう。疑心暗鬼になる。
明らかに心身の発達に遅れがある場合にそうなるのではないかと考えてしまう。そして、自分の子どもの遅れているところを探して気にしてしまう気持ち、それが目立って知られたらどうしようかと思う気持ち、そんな気持ちが芽生えてくるのを感じる。個性が大切だとか、伸び伸び育てるとか、そういううたい文句が表では踊っていても、いやむしろだからからこそ、逆に誰にも言えずに悩むしかない多くの親がいるのではないかと思う。
定期健診を行う自治体はとても親切だ。おそらく本当に善意で、そして職業的義務感を伴って、問題があれば早めに発見した方が良いと思って声をかけてくるのだと思う。しかし、そうやって(例えばADHDの疑いといった)レッテルを多くの子どもたちに貼っていき、観察を続行することが本当に良いことなのかどうかは疑問を感じないわけでもない。発見後の対処の仕組みが、家族のメンタルケアを含めてちゃんとあるのだろうか。また、そのような検査を受けるということ自体に抵抗感があるということが忘れられてはいないだろうか。さらに、検査の存在が圧力になって、普通であること、遅れないことを過剰に気にするようになりはしないだろうか。
保護者面接は1名限定だったので、残念ながら私は控え室で待つことになった。面接よりも面接後の「審議」の時間が長い。面接時間はわずかで、いったい何を見たいと思っているのかよくわからないくらいのようだ。
3歳児は幸いなことに元気にその日を迎え、無事幼稚園入園が決定。帰宅後、前夜一睡もできなかった配偶者と2人でお昼寝についた。
たまっていた仕事は本日から再開。ご迷惑をおかけしています。
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私も一応幼稚園入園考査をくぐり抜けた人間です。勿論記憶にはありませんが(笑)
幼稚園は(義務教育でない)任意入学の学校なので、幼稚園側の拒否する権利を主張するために高校や大学と同じく入試をしているのでしょう。
著しく協調性のない子供が落とされることはあるらしいですね。
発達障害傾向の子は(正しくは親?)ここで苦労するらしいです。
入学金を握りしめて行かなくてはならないというのは驚きました。
なぜか発達障害支援時限研究会委員になっている私としては、早いうちに発達障害を知ることで、親子共々、QOLを向上させる工夫が可能になるので検診には賛成です。レッテル張りと言われればそれまでですが、知らなかった(あるいはそもそもまだ発達障害の概念が医者にもなかった)がために、辛い学校・日常生活を送ったという人がたくさんいます。
最近は生活改善だけでなく、注意欠損も薬でだいぶコントロールできるようになっていますが、やはり難しいのは正しい理解で、本人だけでなく周辺の人も含めた理解が必要ですが、これがなかなか難しいのが実状です。
書き込みありがとうございます。
実は、「検診には賛成です」という言い方自体にちょっと引っかかるところがあったりもします。「この世の中に検診というものがあった方が良いかどうか」ということ(これにはもちろん賛成です)と、「ある家族の、ある子どもが、ある時期に、ある特定の検診を受けた方が良いかどうか」というのは別の問題のように思うからです。
2年ほど前にAERAの記事(「一歳半検診がこわい母親」とかいうやつ)を読んだときには、マスコミが煽るからこんなことになるんじゃないかと思いましたが、その後子育てブログなどをいろいろながめていると、検診に振り回されるそのされ方の多種多様に驚かされます。ちょっとした発語を今のは2語だったか3語だったか気にしてしまうとか、検診のための予習だけを熱心に行うとか、そういうことになってしまうと子育て全体としては歪んだものになりかねません。
「早く知って良かった」というケースがたくさんあるというのは事実だろうと思いますが、そのことをもって、誰にとっても早く知ることが良いはずだ、疑いのあるケースも含めてできるだけ把握しておいた方が良いはずだとは決めつけず、育児プロセス全体の中に上手に検診を導入していく工夫が求められているのではないでしょうか。
あまり好きな言葉ではありませんが、「正しい理解」という言葉を使うならば、「診断を受けた後、その障害に関しての正しい理解」だけではなく、「検診を受けるということ自体に対する正しい理解」が進んでいないのが問題と言えるのではないかと思います。
一般論としては以上です。個人的にはもっといろいろ思いがあるのだと思いますが(お互いに)。